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藤原 通基(ふじわら の みちもと、寛治4年(1090年) - 久安4年10月10日(1148年11月22日))は、平安時代後期の貴族。鎮守府将軍藤原基頼の次男。母は筑前守藤原国仲の娘。正四位下、能登守、大蔵卿、左京大夫。持明院通基とも呼ばれる。 天治年間において、父の基頼が創建した持仏堂である持明院を改築・拡張して、安楽光院と改名。鳥羽上皇を招いて盛大な供養を行った。これ以降「持明院」の名称はその邸宅の名として残り、またその家の家号ともなった。三男の基家がこれを継承し、その子孫は羽林家の持明院家として発展した。 == 系譜 == *父:藤原基頼 *母:藤原国仲の娘 *妻:上西門院一条(源師隆の娘) - 待賢門院官女、上西門院乳母 *長男:藤原通親 *次男:藤原通重(?-1149) *三男:持明院基家(1132-1214) *生母不明 *男子:良基 *男子:長基 *女子:藤原公通室 *女子:藤原実綱室 *女子:藤原休子(藤原信隆室) - 藤原殖子(七条院)の母 category:平安時代後期の貴族 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原通基 (大蔵卿)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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